新連載

 考えはじめよう 自らの最期
                            

 
川久保病院 眼科科長
倫理委員会委員長
 及川 拓Dr.
 
    
私たちはいつ、どんな状態で”そのとき” を迎えるのか誰もわかりません。

     新しい年度を迎えたのを機に「自らの最期」の連載をはじめます。
 
           
 
個人の死生観は何人も否定できない”人の最期”を考えるときの出発点


人が その時を迎える状態には3つあると言われています。一つ目は「予期しない」 二つ目は「病気などで余命が半年、

ないしは1年などと予想できる」三つ目は「認知症などのため、そのこと自体への認識がない」です。
 現在、盛岡医療生協では、倫理委員会において 「自らの最期」に関する事柄を議論・研究して

います。 具体的には「うかがい書」の作成に取り組むなどしています。
   
  

 
チーム一丸で結論を導きだす お手伝い
 

 
職業柄、人の臨終には多く立ち会いますが、終末期において、患者さん本人と その家族の”価値観”が一致しない

ことを稀ではなく経験します。

親子や家族であるからこそ、この価値観の対立が生まれるのかもしれません。

そして、この対立は、時に臨床現場において大きな迷いを生むこともあります。

 この価値観の違いから、患者・家族そして医療・介護に携わる全員がいかに一つのチームとして(一体となって)、
  
より良い結論(方針)を導き出すか・・・。 倫理委員会としては、そのお手伝いができれば良いと考えております


「死生観=価値観」は百人いれば百通り


 「人の最期」には、物理的・生物的な最期と、精神的・宗教的な最期があるかと思います。

後者が重要視されるのは、人ならではでしょう。人は人生経験などを通じて、悩み・考えてきた生き物であるからこそ、

人特有の”価値観”を持つようになったと思います。 

それは各々全く違うので、百人いれば百通りであるといえましょう。

 その個人の”死生観”は本来的には何人も否定できないもので、個人の”絶対的な価値観”の最たるものであると

思われます。

であるならば、今後、私たちが「人の最期」について考えるときの出発点は、”ここ”であると思えてなりません。