考えはじめようらの最期 
                         
 
畠山 文裕さん (矢巾中央支部)
 
   この国で長生きしたい願望はない
            むしろ、死の存在に安心している
   本心であるが、現在この国で長生きしたい願望はない。むしろ、死の存在に安心している。なぜか。今の国家の政権は、米国

のポチ公に甘んじ、人間の尊厳を軽んじ経済成長を最高の価値観としている。教育理念の改悪は、行き着くところは国家主義であ

り、総じて富国強兵への懐古である。
 
  日中戦争、そしてアジア太平洋戦争による東南アジア諸国の多大な犠牲のによって生まれたのが現在の日本国憲法である。

なぜ、かくも尊き宝が軽んじられ、「選択と集中」の市場原理が鉄則として社会に受け入れられるのか。最期を迎えるにあたって、

国民の心の迷い、弱さが気になる。
 
 「生きるとは 一筋で良し 寒椿」。五所平之助の句である。小生は、1939(昭和14)年、中国の東北部(旧満州)ハルビン市生ま

れ。大陸生まれの性格が、人生に反映しているのは確かだ。その人生航路は荒海ばかり。生きるとは苦であり、闘いであるのだが

、逃避する気も術(すべ)もなかった。

 父は獣医師だった川久保病院で死去している。97歳の高齢。冬季、3.4日前から閉眼し、言葉はなかった。死の前日夕方、病室に

入り、自然に歌が出た。啄木の「春まだ浅く」、賢治の「花巻農学校精神歌」「雨ニモマケズ」、そして「荒城の月」。涙がふき出した。

人間の生を終える最期、死を受容できた。               ※ 五所 平之助(1902〜1981)
                                       映画監督・脚本家・俳人